2017年08月17日

トトロの贈り物

うちのお店の8月始めのサラダは、真っ赤に熟れたスイカが付いたちょっと賑やかで豪華なものになります。
 
 このスイカ、実はお店の大家さんが毎年持ってきてくださるお店へのプレゼントなんです。
 お店のすぐ下にある大家さんの畑で、堆肥を肥料にして、農薬は使わないほったらかし農法で作った、大人でもひと抱えしないとならないほど大きな黒いスイカです。
 大家さんがスイカが大好きで、自分がおいしいスイカが食べたくて作った、根性が入ったスイカですので、毎年とても甘くておいしい出来で、評判も良いようです。

 畑で採れたばかりの陽を一杯浴びてまだ温かいスイカを持ってきてくださるので、それを丸ごと冷蔵庫でキンキンに冷やして、お客様には美味しいところ、美味しいところ、とスプーンですくってお出ししています。
 
 うちのお店の大家さんは、春から秋まで、そうやって畑で採れたいろいろな作物をお店に持ってきてくださいます。今お店で出しているポテトサラダのジャガイモも大家さんからの頂き物です。ご自宅で使う分の残りを毎年くださるので、秋口くらいまでは農家さんにジャガイモを頼まなくても大家さんのジャガイモで用が足りてしまうほどです。
 
 この大家さんなんですが、なんだか「隣のトトロ」のトトロに似ているような気がしてならなくて、なんでトトロに似ていると思うんだろう...と自分でも不思議に思っていたんです。
 
 外見が似ている訳でもないし、でもトトロが嬉しくなってキラキラした目でニーっと笑った顔はちょっと大家さんと似ているような気はしますが、それとはちょっと違う。
 何が似ているのかな、と思っていたんですが、朝お店の勝手口のドアを開けると、野菜置きの台の上にトマトが数個コロっと置いてあって、それを見た時に、トトロがお礼に置いていったどんぐりの贈り物の置き方を思い出したんです。
 なんか贈り物の置き方がトトロと似てる!そうなんです。

 思わず笑顔になってしまうのがその置き方で、最初に見た時にはトマトが数個コロっところがっていて、ああトマトがあるな、と思いながらちょっと用事を足して戻ってきてみると、いつの間にかトマトの隣にキュウリが数本置いてあって、まるでいたずらっ子が見つからないように贈り物を置いていったみたいなんです。
 
 ある時にはお店のカウンターのトレイの上にいつの間にかトマトが置いてあったり。
あ、トマトが置いてある、と思って用事を足していたら、数分後にはいつの間にかその隣にそっと黄色いズッキーニが置いてあったり。

 先日は両手一杯に育ち過ぎた巨大な黄色いズッキーニを抱えてきて「オブジェ!オブジェ!」と言って置いていかれました。そのズッキーニは、農家さんの楽しいエピソード付きのカボチャと一緒に飾ってあります。楽しい農家さんのお話しはまたにして、うちのお店はこんな優しい「隣の畑のトトロ」さんの贈り物のおかげでいつもお客様にも楽しみを感じていただけて、心豊かにさせていただけているような気がします。


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posted by ねこ at 21:54| Comment(0) | 日記

2017年06月27日

八ヶ岳の風の始まり 母との約束

私の母はちょっとした料理自慢の人でした。
父の友人、取引相手、父の経営する会社の社員、知人など、母は自慢の料理でもてなしていました。兄にとっても私にとっても母の料理は自慢の種で、兄の友人や私の友人もやはり母の手料理でいつももてなされていました。友達がおいしいと喜ぶからと言うと、母は兄のお弁当も私のお弁当も大勢の分を作って持たせてくれました。家では常に宴会や食事会が催されていました。
 
母の料理は昭和の時代にはちょっと珍しく、和洋折衷で、華やかさがある独特なものでした。もともと探求心が旺盛で、旅先で見つけた美味しい料理やレストランで食べた珍しい料理は必ず自分で再現して自分なりにアレンジしては自分のレシピに加えていっていました。私たちは良くも悪くもその試作品をいつも食べさせられていました。

 母の料理好きは遺伝のようなものであったようです。
母の実家は宮城県の代々続いていた造り酒屋で、祖母もやはり料理上手で人をもてなしていたという話しです。
 母の実家の酒屋は松島の基地のすぐそばにあったため、戦時中は軍の依頼で軍関係者の接待やもてなしを料亭代わりに引き受けたり、特攻隊が飛び立つ時に最後の酒をふるまう役割もしていたそうです。母もそれらを手伝っていたようで、特攻隊の方々のことは、「まだあどけなさが残る人達が酒をあおって敬礼して飛び立っていく姿を見るのは本当に辛かった。首にまいたマフラーが忘れられない」と言っていました。

 戦後間もなくは、軍の依頼で進駐軍の接待を引き受けていたようです。
 物資のなかった時代に、祖母は近所の子供達に頼んで鳥もちを仕掛けて捕まえてもらった鳥を自家製の調味液に漬け込んだり、近所の子供達にアルバイトで沼のジュンサイを採らせては料理に使ったりと、様々工夫して料亭並みの料理を作り続けたようです。
 
母の姉たちも当時にしては珍しくどこで覚えたのか、母のお弁当に庭のイチジクを使ってイチジクのパイを焼くなど、昭和初めの宮城県の田舎とは思えない変わった家であったようです。
 そんな家で育った母は、やはり遺伝のように料理好きになって同じように人々をもてなすようになっていったんですね。そういう私も同じ道を進んでしまいましたが...。
 
 私が大学を卒業する頃、そんな料理好きの母が自分の店を持ちたいと言い出した時、家族の誰も反対する人はいませんでした。むしろ当然のように思いました。
 就職を決めかねていた私は当然のごとく母と一緒に店をやる気になり、毎日母と店の話しをするようになっていました。
 学生がお腹一杯食べられるお店にしたい。学生街で学生相手に店をやりたい、というのが母の希望でした。
 店を探しに行こう、そういった話しが出始めた時、母は突然脳溢血で倒れて半身不随になり、7年近く患った末に亡くなりました。

 私も母の介護と九十歳を過ぎた祖父の世話に追われ、両親、祖父を看取り、その後気が付けば30年近くの年月が過ぎていってしまいました。

 山梨県に移住し、たまたまのチャンスを得て「八ヶ岳の風」を開業したのですが、やっと30年越しに母との約束を果たせたような気がしています。
 八ヶ岳の風の料理は決して洒落た豪華なレストランのシェフのような料理ではありません。お母さんが作るお母さんの家庭料理をみんなにお腹一杯食べて欲しい、その母の思いを引き継いだお母さんの味、お母さんの料理、それが八ヶ岳の風の料理でありあり方で良いと思っています。
 それが母との約束、そう思われてなりません。

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posted by ねこ at 01:38| Comment(0) | 日記

大根の思い出

先日うちの大家さんの畑の大根を一杯いただいてきました。
畑はお店のすぐ近くにあるのですが、大家さんはほったらし農業専門で、今年は間引きもしないでほったらかしたほうれん草とコマツナが何が何やらわからなくなりそうにモジャモジャになっているのを全部くださるというので、抜きにいったついでに「大根も持っていっていいよ」とおっしゃったので、遠慮なく一杯引っこ抜いていただいてきました。
 今年の大家さんの大根はとても出来が良くて、まったく辛味もなく、煮て良しおろして良し。甘味があって毎日おいしくいただいています。
 
 大根には忘れられない思い出があります。
今から30年以上前の話しですが、まだ私が二十歳そこそこの頃、ちょうど6月の今頃に夏大根が出始めたので、九十歳を過ぎた祖父のためにふろふき大根を作ったのですが、いくら柔らかく煮ても祖父が固くて食べられないと言うんです。
 何回も何回も煮なおしてみましたが、祖父はやはり固くて食べられないと言い続け、結局最後まで食べられないで終わってしまいました。
 それが悔しくて、それからというもの、まるで人生の目標みたいに大根を見ると柔らかく、柔らかくと一生懸命煮てみたのですが、どうしてもとろけるように柔らかくはなりませんでした。
 それから10年近く経って、無農薬の野菜を使うようになって、初めてとろけるように柔らかく大根が煮えるようになりました。農薬を使用した大根は本当にとろけるように柔らかくはならないのだということをやっと知ったんですね。
 柔らかく煮えた大根を前に、もうすでに亡くなっていた祖父に食べさせたかったな、と、本当に悔しく残念に思われました。もっと早くわかっていれば、と。

 八ヶ岳の風のお惣菜がとても柔らかいのは、それが理由なんです。
もし祖父が生きていたら食べさせたかった、柔らかいものを、そう思えてついつい柔らかく仕上げてしまうんですね。
 私の作った野菜の煮物を「柔らかくておいしかったよー。お袋の味がした」とおっしゃる方がいらっしゃいました。
 そんな時にも、祖父の「固くて食べられないよ」という声と、祖父の顔が浮かんできてしまいます。
 意識しているつもりはないのですが、いつも思い出される思い出なんですね。

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posted by ねこ at 00:08| Comment(0) | 日記