2018年04月16日

不思議なご縁

2018年の始まりからなんとなく不思議なご縁を感じています。
3月に東京の日本橋にある山梨県のアンテナショップ「富士の国山梨館」での企画展が2回決まっていたのですが、たまたまの偶然から2月に北杜市観光協会の応援で2日間日本橋の「富士の国山梨館」前の広場でテントでの物産展と桜のキャンペーンに出向くことになりました。
 
銀座から新橋までは、子供の頃からずっとゆかりある場所でした。私の父は若い頃からずっとその辺りがホームグラウンドで、自称か他称かわかりませんが「銀座のネコちゃん」でした。祖父も銀座に用事が多かったのか、祖父のお土産はいつも「天國」の分厚いかき揚げや「和光」で買ったものでした。母に連れられて歌舞伎座に歌右衛門さんの歌舞伎を見に行ったり、資生堂パーラーで母がお茶を飲む傍らで子供の私は美味しいスウィーツにありついたりしていました。子供の頃なにより好きだったのが、鳩居堂で、千代紙を見るのが大好きで、すっかり千代紙マニアになっていました。
 
大人になってからは、大学卒業後に誘われて入った写真学校在学中、二科の関係で写真展の手伝いでニコンサロン、キャノンサロン、コンタックスサロン、富士フォトサロンと一年中写真展の手伝いまわりにパーティーの手伝いにと駆け回っていました。写真学校の卒展も富士フォトサロン。
 写真の仕事を始めてからは、キャノンのプロクラブに入っていたので、キャノンサロンや銀一カメラにはいつも入り浸っていました。仕事関係も中央区や千代田区がほとんど。新橋、銀座、赤坂、六本木の日々。
 
そんな時代を経て、長年して山梨県に移住したのですが、何故かまた不思議なご縁で自分の仕事でまた日本橋に舞い戻ってきました。カメラを手に駆け回っていたのが、今度は加工品。
 かつて写真展のパーティーで秋山正太郎先生や林忠彦先生など、錚々たる顔ぶれの写真家先生のためにおつまみ片手に水割りやらビールやらで走り回っていた自分が、何十年後に今度は自分の加工品片手に試食販売をやっているのが、なんだか不思議やらおかしいやら。

お昼休みの休憩に「富士の国山梨館」の上にあるイタリアンレストランの窓際の席から久しぶりの銀座の人の流れを見ながら、変わったような変わらないような....やっぱり懐かしい風景かな、そんな気持ちになりました。
 

IMG_1656.JPG
posted by ねこ at 00:40| Comment(0) | 日記

2018年04月15日

早すぎる桜の開花 2018年

今年の3月頃でしょうか、西日本で早くも農作物への異常気象の影響でタマネギの苗に被害が出て、2016年と気象状況が似ているといった記事が出ました。そのことがずっと気になっていました。
 今年は全国的に桜の開花が早かったように思いますが、八ヶ岳周辺でも、今年は4月に入ってから夏日のような暑さが続き、あっという間に桜だけでなくあらゆる花々が慌てて満開になってしまったような速さで開花から満開まで進みました。
 このようなことはこの数年続いているようです。各地で予定されている桜まつりに桜が散ってしまっているということが多くなってきたように思います。

 私は今年の花の様子を、お花見とかきれいだなとかそんな心のゆとりなく見ています。
2016年の繰り返しにならなければ良いと、あの一年間の悪い夢が思い出されてなりません。タマネギも凶作、ジャガイモも凶作、葉物は急激に伸びて溶けてしまって収穫できず。果物も不作、夏野菜もなく、晩秋まで地元野菜の棚がからっぽだった2016年。

 この数年、天候に恵まれた年はありません。昨年もなかなか大変な一年でした。

 毎年同じ言葉で同じ祈りを繰り返すようになっています。

 どうか今年は無事に天候に恵まれますように.....。

IMG_1303 (1).JPG
posted by ねこ at 23:26| Comment(0) | 日記

2017年10月15日

私が加工品にこだわる訳

以前お話ししましたように、私は母との約束のいつか飲食店をやるというぼんやりしたイメージが若い頃から頭の隅っこにはありましたが、年取るごとに向かっているのは飲食店というよりはむしろ加工品の方向でした。
 
叔父が送ってくるブルーベリーやキュウリなどをどんどんジャムやピクルスにして配って歩いていたという生活もありましたが、40歳を超えた辺りから、急にまわりに一人暮らしの人が増え始めてきたんですね。伴侶を亡くし子供達とも同居していない一人暮らしの叔父や叔母、主人の知人や友人達も離婚して男の一人所帯ばかり。
 そういった人たちが若かった頃は良かったのですが、年取ってきて病気をしたり生活に不自由が出たりするようになってきたんです。
 そういう一人暮らしで不自由があったり病気をしたりしている叔父、叔母、知人や友人達に、料理を作って届けたり送ったりというのが日常的になってきたんです。
 毎年暮れの12月30日には人数分のおせち料理をできるだけ飽きないようにいろんな種類作って、叔父には重箱に詰めて、そのほかの人たちにはパック詰めや箱詰めにして送るのが毎年の習わしになっていました。
 
 主人の父は自分の好きなようにしかできない人で、まず人に合わせるということがまったくできなくて、子供達が面倒見ようにもどうにもならなかった御仁でした。
 この難癖ある主人の父も勝手気ままな生活が遂に祟って腎不全になり、それでもお医者様の言うことをまったく聞かなかったために「透析にするか食事療法を取るか」とお医者様から最後通告を受けてしまいました。
 他にやり手がないので、その腎不全の食事療法は私が引き受けました。
 ところが、こともあろうに、なんです。その腎不全の食事療法を引き受けた直後に今度は主人がマロリーワイズ症候群で胃が切れて大量出血で入院し、極度の貧血になったため、貧血の食事療法も一緒にやらなければならなくなりました。
 冷蔵庫に腎不全用の食事療法の指示表と栄養成分表と貧血用の食事療法の栄養成分表を両方貼って、同時に両方の食事を作る生活が半年も続きました。

 腎不全などの食事療法の難しさは、制限があってなかなか満足いく食事にならないためにおいしくない、気に入らないなどが理由で食べなくなってしまうという拒絶されるという難しさです。
 いかにおいしく、いかに長く食べ続けてもらうか、ということが大変な苦労なんですね。

 一人暮らしの人たちや、さらに病気を抱えている人たちにとって、たとえどんなに一杯料理を作っても、送ったり持って行ったり、その場で作ってあげたところで、食卓が賑やかになったりちょっと楽になる程度で、それもほんの一瞬です。
 時には自分でなんとかしようとして山ほど買い物をした後で料理が届いて、食材や料理が大量に余ってしまって困ったということもありました。
 
どんな豪華な料理よりも、どんなにその場喜ばれる料理よりも、その人達が本当に必要な時に、生活の中で本当に役に立つような、そんな日々の食事を支えられるようなもののほうがずっと重要だと思うようになりました。そのためには、長期保管できるきちんと真空パックして加工処理した加工品にして仕上げるほうが良い、もしそうできれば、冷凍庫の中にでも入れておいて、いつでも必要な時に温めて食べられる、そう思いますと、それができずにただ作っては送るだけの自分が無力に思えてなりませんでした。
 
一番悔しかったのが、スープを送ることが大変難しかったことです。 
体調が悪い時は固形物が喉を通りにくいし、食べる気力がなくなっていたりして、スープなどの汁物が欲しくなることが多い、またはそういったものしか食べられない時があることは経験からもよくわかっていながら、それだけは送ってあげられなかった悔しさです。

 手間暇かけた料理をちょっと送って一瞬喜んでもらっても、一人暮らしや闘病生活はその後もずっと毎日続くのです。ちょっと喜んでもらってどうなるというの?自分に問わずにいられませんでした。
 それよりも、もっと実践的にそういった人たちの日々の生活に本当に役に立つものを作りたい、それが私が加工品にこだわるようになった理由です。

DSCF2090 (1).JPG

posted by ねこ at 00:38| Comment(0) | 日記