2017年09月12日

地場産業の種 その一 天候不順

7月から9月は加工品製造に追われて加工品業には忙しい季節です。
昨年は大変な天候不順で、農作物が大打撃を受け、そのあおりを受けて日本中の加工品メーカーが大変なことになりました。北海道のジャガイモが不作でポテトチップスが作れなくなりそうだという話しが出たり、山の芋が不作で銘菓かるかんが作れなくなりそうだという話しが出たり。北杜市の地元野菜の販売の棚も夏から秋が深まる頃までからっぽで、売るものさえないといった様相でした。
 八ヶ岳の風も、ブルーベリーが6月の猛暑の影響で早く熟しすぎて品質が悪かったため、ブルーベリージャムの製造中止、さらにキュウリの不作の影響でピクルスも例年の半分以下しか作れませんでした。辛うじて作れた数少ない加工品ではどうにもならず、一年加工品の販売をあきらめざるを得ませんでした。
 加工品メーカーとしてやっていくには、一年目は賞味期限を決めたり様々なデータ取りで終わります。二年目からがサンプルを配って営業を始める大切な年のはずでしたが、その大切な年をあきらめざるを得ないという悔しい一年でした。

 今年は、春先には昨年よりは良い天候のように思えたのですが、そうはいきませんでした。やはり昨年の影響を受けてか、春先から様々な植物や野菜の異変が起きていました。
 さらに5月の深刻な水不足、その後の夏の記録的な天候不順、夏が始まらずにそのまま秋になってしまったような悲惨な夏となりました。
 私達は昨年の轍を踏んではならないと、今年はハラハラしながら原材料の手配を早め早めにやっていこうとしていました。しかし、やはり出鼻をくじかれたような天候不順で、昨年同様協力農家さん達の野菜には異変が起きていました。
 もうダメかな、と思ったのですが、ところが、3年目にもなると、協力農家さん達も要領を得てきてくださったようで、「うちはダメだったけど、信頼できる農家さんで今出荷できるところがありますが、頼みますか?」とあちこちに声をかけて材料の野菜の手配をつけてくれました。おかげ様で、今年は店を始めてから初めて本当の意味ですべてが順調にうまくいっているという実感を持って加工品の製造が続けられました。
 その代わりと言ってはなんですが、天候不順の怖さとは、本来の野菜や果物のあり方では、半月とか一か月にわたってずっと出荷できるはずのものが、出荷できる時期が極めて短くなって、本当に一瞬のように、わずか1週間とか2週間で終わってしまうという忙しいサイクルになってしまうことです。多くの作物の時期が集中し、大変慌ただしく忙しく、まるで博打でも打っているような仕入れになってしまいました。
 たとえ何が払えなくても、何を蹴飛ばしても材料の仕入れだけは何より優先しなければ!私の中にそんなすさまじい加工魂があることを、今年初めて自分でも知り、本当に自分でも驚いています。
 本当に加工品作りが好きなのだと、しみじみ実感しました。

 それに加えて、今年ほど原材料の供給の大切さを思い知った年はありません。
 信頼できる農家さん達、そしてその農家さん達のさらなる信頼関係や連帯のおかげで無事今年の加工品は出来ているのだと思いますと、本当にその信頼関係や連帯の大切さを身に染みずにはいられません。
 八ヶ岳の風の加工品も、店でお出しする料理も、決して私達が自分達だけで独自にやっている訳ではありません。
 信頼できる農家さん達のさらなる信頼関係や連帯、そして各地の材料から安全性にまでこだわった様々な加工品メーカーさん達の知られざる企業努力や不景気に負けずにこだわりを捨てない強さ、様々な会社、お店、そういった方々の仕事のおかげで今の八ヶ岳の風の味は保たれているんですね。
 たとえば、八ヶ岳ドックを支えてくれている、お店でもおいしいと評判のドックパンを製造している名古屋の業務用パン屋さんは、製粉会社も経営している、本当に粉からこだわったパン屋さんで、業務用であっても一つ一つお店に合わせて手作りで仕上げてくれるような丁寧な仕事をしてくれるところです。このパン屋さんなくして八ヶ岳ドックは成り立ちません。
 生地がおいしくて評判のピザは、小淵沢のセルクルさんが一番人気のイギリスパンの生地をじっくり熟成させて作ってくれている本当においしいこだわったピザ台です。このピザ台なくして八ヶ岳の風のピザはあり得ません。
 ホットドックに使用しているウィンナーは、信州ハムの無えんせきの添加物をできる限り控えたこだわりのウィンナーです。様々なウィンナーを全国から取り寄せて仲間うちでブラインドテストして全員一致で選んだウィンナーです。

 八ヶ岳の風の加工品の代表と言えるキュウリのピクルスに使用しているお酢は、私がもう20年近くこれしか使わないと決めているほど愛用している大変こだわった最良のお酢です。このお酢は、福井県の河原酢造という会社のお酢ですが、有機JASとオーガニックの両方を取得した極めて稀なお酢です。本来のお酢の作り方をそのまま端折ることなくしっかりじっくり時間をかけて醸造して仕上げた見事なお酢だと思います。
 ピクルスを作っている時に、時折、もしこのお酢がなくなったらピクルス作りはもうできないかな、などと思うことがあります。それほど大切に思っているお酢です。

 それぞれのメーカーさん、それぞれのお店、それぞれの農家さん達、どれをとってもかけがいのない存在です。そういったものの上に良いもの、名品は生まれてくるのだと思われます。そんなことを思っていますと、自然と心の中に「地場産業」という言葉が浮かんできました。地場産業とは、そして地場産業の種とは、そういった様々な良品、信頼関係、連帯といったものの中から自然に生まれてくるべきものではないか、と。
 なにか、私は地場産業の種のようなものを掴みかけているのではないか、と考えるようになりました。

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posted by ねこ at 15:38| Comment(0) | 日記

2017年08月26日

青い屋台

私が生まれて初めてお好み焼きを食べたのは、小学校低学年の頃に友達と行った出初式でのことでした。友達につられるようにして買って食べたお好み焼きのあまりの美味しさにもうひとつ食べたかったのですが、お小遣いが足りなくて買えなくて後ろ髪を引かれるような思いで帰ってきました。
 その屋台がトタン部分がすべて青く塗られたとても特徴のある屋台で、その屋台と焼きたてのお好み焼きを半分に折った緑色の紙に包んで渡してくれたことだけを忘れないように記憶に留めていました。
 
 その青い屋台が実はとても近い所にあったことに気づいたのはそれから何年も経ってからでした。
私の住んでいた町内には弘明寺観音というちょっと有名なお寺があり、参道が商店街になっていて、子供の頃から母に連れられて買い物に行っていたお気に入りの商店街だったのですが、その商店街の真ん中あたりを流れる川の橋のすぐ脇にその青い屋台はいつも閉まったまま置かれていたのです。ずっと閉まったままの状態で置かれていたので長いことただの風景のように見えてしまって気付かないでいたようです。
 
 後で聞いた話ですが、その青い屋台のお好み焼き屋さんは、かなりあちこちの縁日やお祭りにも出ていて、どこでも美味しくて評判で行列ができる屋台だったそうですが、私が初めてその屋台と出合った数年後に病気でもされたのか、突然姿を消してしまったということです。その後その青い屋台はもともとの地元の弘明寺商店街の橋のすぐ脇の定位置に閉まったまま長い年月ずっとそのまま置かれていました。
 
 私は、それからもずっとその青い屋台のお好み焼き屋さんのお好み焼きが忘れられずにあちこちでお好み焼きを食べてみましたが、似たようなものさえないし、人に聞いてもやはりあのおじさんのお好み焼きは全然違ったという話しか聞けませんでした。
 今ある豚肉などが乗った、卵が割ってある、ソースやマヨネーズがコテコテしたお好み焼きとはまったく違う、キャベツとネギくらいしか使ってないという位のシンプルさで、ソースもコテコテしていないあっさりのはずなのに不思議なくらい美味しい独特なお好み焼きでした。

 私が大学に入った頃、突然その青い屋台が開かれて、40代くらいの男性がお好み焼き屋さんを再開しましたが、ラジオの競馬中継に夢中で商売はほったらかしだったため、お客さんも付くはずもなく、すぐにまた閉めてしまいました。
 ふたたびまた長い年月青い屋台は橋の脇の定位置に、ひっそりと閉まったまま佇んでいました。
 
 20年以上経ったある日、青い屋台はまた再び開かれました。
 今度はおばあさんと40代くらいの男性でした。二人でお好み焼きを焼き始めたのを見た時、私がずっと探していたお好み焼きであることがすぐにわかりました。
 初代のご店主のご家族が店を始めたのだと直感的に思いました。
まったく同じという訳にはいきませんが、できるだけ忠実に同じお好み焼きを再び焼こうとしていて、おじさんがやっていたように、緑色の紙ではありませんでしたが、新聞紙にくるんで手渡しする売り方をしてました。
 私達は懐かしさもあって、飛びつくようにしてさっそくそのお好み焼きを買って食べてみました。完全ではないにしても、懐かしい美味しさでした。
 それからというもの、弘明寺商店街に行くと屋台がやっている限り毎回のようにお好み焼きを買って食べるというのが私達の楽しみになりました。半年位するとおばあさんはいなくなり、40代の男性が一人で屋台を切り盛りするようになりました。
 
 2年くらいが経った頃、私達がお好み焼きを買いに屋台に向かっていると、小学生が「ここのお好み焼きうまいんだぜ!」と友達に大きな声で言っているのを聞き、私達が子供の頃と変わらぬ風景がまた広がっていることに嬉しさが込み上げてきました。
 何十年経っても美味しいものはやはり美味しい、変わらないものがあるんだ、という嬉しさでした。やけどしそうなほど熱い焼きたてのお好み焼きを紙にくるんだものを、ハフハフ言いながら食べる美味しさや楽しさは、年月で変わるものでも時代で変わるものでもないのだと、そう思えて嬉しく思えました。しかし、その年、とんでもない出来事が起きてしまったのです。
 
 弘明寺観音は夏の間縁日がありまして、毎月3の付く日と8のつく日が縁日になります。縁日には参道一杯に屋台や出店が出て大変な賑わいとなります。弘明寺観音の縁日は「サンパチ」の縁日として町内だけでなく横浜市内でも広く知られていました。
 青い屋台のお好み焼き屋さんは、この参道には出店せずいつもの定位置の橋の脇の場所でいつもと変わらずに商売を続けていました。
 ところが、他の屋台には目もくれず次々と人が青い屋台のお好み焼き屋さんに並び始め、その行列はどんどんと長くなり、一体何十メーター続いているのか、その先が見えなくなるほどの行列ができ始めたのです。あまりの行列に、さすがの店主さんも不安に駆られて屋台から出て行列の最後尾を見極めようとしましたが、まるで見えません。
 焼いても焼いても間に合わない、大変な状況になりました。
 その行列は、その後縁日のたびに続くようになりました。青い屋台のお好み焼き屋さんの店主さんは、遂に体を壊して入院してしまいました。
 ああ、やっぱり初代のご店主も同じようにあまりにも行列ができる屋台だったために体を壊されたのだと、その時にやっとわかりました。
 
 後で聞いた話ですが、やはり初代のご店主さんの時も、どこに行っても、お客さんは他の屋台には目もくれずに青い屋台に長い長い行列を作り続けていたそうです。

 昔よりももっといろいろな食べ物が質を落とし、味気ないプラスチックトレイに入った、ゴテゴテした味の濃いあまり美味しくないお好み焼きばかりになった近年に、昔長い行列を作った伝説のお好み焼きを忠実にレシピを守って再現した青い屋台のお好み焼きは、恐らく初代の時よりもそのシンプルさや独特の美味しさが際立って、評判を呼んでしまったのでしょう。行列の長さも初代を上回ってしまったのでしょう。
 
 しばらく入院して、青い屋台の店主さんはもう一度屋台に立たれ、今度はお弟子さんを2人連れてきてしばらく屋台を続けていましたが、やがてご自分のお体を案じたのか、お弟子さんに屋台を譲られてご自分は引退されてしまいました。
 残念ながらお弟子さん達の屋台には行列ができることはありませんでした。
 
 私達はちょうどその頃に横浜から山梨に移住してしまいましたので、その後のことはわかりませんが、青い屋台の物語はあまりにも印象深いもので思わずブログに書いてしまいました。

 今も時々、今度は私が自分でそのお好み焼きを再現してみようか、などという誘惑に駆られています。
 美味しいものは、誰かが引き継がないといずれ消えてなくなってしまうものですから。






posted by ねこ at 00:24| Comment(0) | 日記

2017年08月17日

グルテンフリーと小麦アレルギー

最近ビーガンと並んでグルテンフリーがフランスを中心としたヨーロッパのブームになっているようで、日本にもそのブームが広がってきているようです。
 東京でもグルテンフリーのお店も増えてきているようです。

 私はこのブームを、小麦アレルギーの方々にはいいような、悪いような...とちょっと複雑な気持ちで見ています。

 グルテンフリーは、なんとなくブームのような、ライフスタイルや美容とか健康のためといった傾向を感じているのですね。そういったものとして、本来はなんでも召し上がれる方々がブームやスタイルでやられる分にはそれはそれで良いとは思うのですが、小麦アレルギーとは断じて違うと思うんです。もし、お店をやられている方々がそういった捉え方でやられていた場合、アレルギーの方々への理解や配慮に心配があってなりません。
 
 食物アレルギーの患者さんの場合、特にお子さんの場合などは、劇症型の症状を示される場合があります。アナフィラキシーショックなどを起こされた場合、命にかかわることがあります。アレルギーの対象物も様々で、なにがしかのアレルギーをお持ちの方は、他にも様々な症状を示される対象物をお持ちの場合が多々あります。症状も個人差があり、一概には言えないものです。
 
 重症の患者さんの場合、たとえば蕎麦アレルギーの方の場合は、お蕎麦屋さんの蕎麦を茹でる時に出る換気扇からの排気でも症状が引き起こされることがあります。
 小麦アレルギーの場合ですと、たとえば米粉の麺類を製造する工場が、同じ工場内で、きちんと製造ラインを分けていても、同じ工場内で小麦を使った麺類を作っている場合、空中に飛散した小麦粉の微粒子の成分が付着しただけで、たとえ米粉の麺であってもアレルギーの症状が引き起こされてしまうことがあります。
 こういったことにどこまで配慮できるかといったことがアレルギーでは言われるものです。
 私は小麦アレルギーの方のためによくビーフンを使うのですが、そのビーフンの袋に「同じ工場内で小麦製品を製造しています」と明記したものを見つけ、よくここまで配慮したなと感心したことがありました。

 うちのお店でも小麦アレルギーの方々に対応はしていますが、決して十分ではありません。それぞれの方々とよくお話しして、こわごわですが、なんとかやらせていただいていますが、それでも無理と思える重症度の場合はお断りするつもりでいます。やはりご無理をさせて万一のことがあってはならないと思っています。

 私が信頼できて、ここならばとお勧めできるお店があります。
東京都練馬区にある「ALETTA」というグルテンフリーレストランです。
 
 実はこのお店の森岡みまシェフがうちのご常連の方なのですが、シェフご本人が小麦アレルギーで、非常に厳密に厨房から小麦成分を排除しておられる、本当に小麦成分のない厨房で料理が作られた、かなり信頼度の高いレストランです。
おまけに大変腕が良いシェフで、味にも定評があります。
 森岡みまシェフ、この人ならば、と私が今のところ唯一信頼できるシェフです。
 
 ちょっと横道にそれますが、この森岡シェフ、神様が二物どころか三物も与えてしまったちょっとズルい、いえ、ちょっと反則な、そんな人なんですよ。
 素晴らしい歌声を持った歌姫で、おまけに腕の良いフレンチのシェフ。ここまででも反則なんですが、さらに美しいんです。美貌の持ち主なんです。これはあきらかに反則!
 その美貌でとびきりの笑顔を見せられた日には、ついついなんでも許してしまいそうな、そんな気持ちにさせてしまう美しい人。
 ぜひそんな彼女のおいしい料理と美しい笑顔に会いに行ってみてください。

ALETTA
定休日:火、水
住所:東京都練馬区関町北3−50−1(西部新宿線東伏見駅南口)
電話:03−6279−7304


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posted by ねこ at 23:43| Comment(0) | 日記